ダビデのコラム

トリノ&ミステリー6

サヴォイア家は、トリノのおける宗教に関するいくつかの法規を撤廃した実績がありますが、特に1850年に、カトリック教会の聖職者の力を抑制し彼らが享受していた特権を廃止する法を発布したことは、それがたとえ"紙切れ一枚"であっても、大きな功績の一つでした。
サヴォイア広場の"シッカルディ(法)のオベリスク"は、伝説や歴史上のいくつかの逸話を伝える役目を果たしていることを誇っています。例えばナチ・ファシズムからの解放運動の最中に受けた2発の迫撃砲の跡も往時の様子を伝えていますが、その時の攻撃でこのオベリスクはよろめいたものの遂に倒壊はしませんでした。
このオベリスクの下には財宝と呼べるような種類の物の他にも、ちょっと風変りなものも隠されています!台座の下には、いくつかの"トリノのシンボル"が詰まった一つの箱が埋められているのです。それには、まず地元日刊新聞"Gazzetta del Popolo"の1850年発行でこのオベリスク設置のプロジェクトの記事がのっている141号と142号、そして当時の貴重な硬貨、さらに1kgの(縁起が良いとされる)お米、バルベーラ・ワイン1本、トリノのグリッシーニとお菓子が詰められているのです!
そのオベリスクからValdocco地区の方へ振り向くと、「Vallis Occidanum(日が沈む谷)」と呼ばれていた、かつて死刑執行が行われていた場所がありますが、またの名を「Vallis Occisorum(死者の谷)」とも言いました。
トリノの地図にはこの名前は記されていませんでしたが、Regina Margherita 通りとCigna 通りが交差する広場で、絞首台が置かれていたその広場のことを、市民は皆 "Rondò della Forca"(絞首台の広場)と呼び、前述の二つの名前と同様の場所であることを知っていました。
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