トリノのSan Carlo広場
- カテゴリ: その他
- 公開日:2014年4月22日(火曜)15:00
Piazza San Carlo(サン・カルロ広場)はトリノでも最も重要な広場の一つで、ピエモンテ州の行政上の"鼓動する心臓部"と言うことができます。縦横168 x 76メートル、12,768平方メートルの広さで、広場にはローマ通りの一部が通っておりPiazza Castello(カステッロ広場)やPiazza Carlo Felice(カルロ・フェリーチェ広場)に続いています。
トリノにおいて最も絵になるこの広場の別の名は"トリノの応接間"で、形は長方形をしており、町の中心地のメイン通りであるローマ通りによってカステッロ広場と結ばれています。
ピエモンテの政治家達の日々の活動は、サンカルロ広場で、より良く言えばそこにあるいくつかの有名なカフェの中で繰り広げられていると言っても過言ではないでしょう。
それらのカフェの中でも一番有名なものはCaffè San Carlo(カフェ・サン・カルロ)で、王族や貴族、作家なども通っていた所ですが、ここはイタリアのカフェでは最初にガス灯の照明を使った所で、その照明でこのカフェを装飾している化粧しっくいの天井や壁、彫刻等の真価を十分に発揮できるようにしたものでした。カフェ・サン・カルロの黄金期は1920~1925年で、Mario Gromo、Giacomo Noventa、Giacomo Debenedetti、Filippo Burzio、 Francesco Pastonchiといった人々が集う場所となっていました。
食パンが生まれたところはトリノ?
- カテゴリ: その他
- 公開日:2014年4月15日(火曜)15:00
死刑執行人とその家族たちは、町の人々からの"殺人者との共存は受け入れられない"と言う態度に、日々忍耐を強いられていました。死刑というもが存在していた当時、その執行は正義にかなった仕事であったにもかかわらずです。
お店の中には、死刑執行人とその家族に対しては、支払い時に"人を殺したことで手に入れた"お金を洗わせるための鉢を突き出すところまでありました。
パン職人たちは、侮蔑の意味を込めてパンをさかさまにして提供していたので(縁起が悪いとされる)、死刑執行人達は当局に繰り返し抗議を起こし、ついには法令でその行為を禁止するまでにいたりましたが、パン職人の何人かはレンガと同じ角柱の異様な形のパンを作りはじめ、(あいかわらずさかさまにパンを提供したとしても)死刑執行人達に文句を言わせないように上下を均一なものにしました。
Uccheddu Davide | ウッケッドゥ ダビデ
イタリアのボルゴマネーロ生まれ。 2007年に来日。以降、北海道在住。 イタリアと日本の交流をもっと盛んに、 そして強い絆を作りたいという想いを抱き、 2012年ジェイ・アイ・エクスチェンジ株式会社を設立。
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